同じ痛みを持つ人にしかわからない

こんばんは。

 

約4年ぶりです。

長く放置してきました。

その間に本当に沢山の出来事がありました。

 

悲しい出来事が一番多いです。

そして、感謝も次に多いです。

 

誰かに励まされた時、お話を聞いてくれた時、慰めてくれた時、感謝を心から贈ります。

 

私にとっては当たり前のことなんです。

 

そんな当たり前の事に、より感謝をするようになった出来事がありました。

 

実は、鬱になってました。

今は普通を装っています。

 

会社のせいではありません。

 

身内の死別が重なりました。

 

日に日に弱っていく父、必死に兄弟で泣かないように耐えていた日々の中、儚く空へ行ってしまった。

 

「まだ死にたくないよ」

 

入院したある日のラインです。

 

本当にショックだったんです。

でも、だめなんです。悲しんだらみんな悲しいから。

 

「死ぬ訳ないじゃん!(笑)」

 

そういうしかなかったの。

許してね、弟。

 

そんな弟もついて行きました。

 

許してはくれなかったのかな。

 

この悲しみを理解してくれる人は一人しかいなかった。

 

でも、

社会は許さなかった。

私も社会を許せなかった。

 

そしてある日を境に私は決めた

 

「いつでも行けるから今を思うままに後悔なく生きる」

 

少し軽くなった。

 

関わってくれて、ありがとう。心からそう思う。

 

深いつながり、本当は切りたい。

お願いだから、

私を悲しんでも、慈しんでも良い。

 

でも

私を想って付いてこないでね。

あなたのせいじゃないと伝えるために。

 

これは私が許して欲しいと嘆願する為。

許しを請うだけ。

 

理解できる人は一握り。

 

社会に鬱を持ってして養うことはできない。

悲しみを抑えて空元気で、元気がなくなるその日まで生きようするしかない。

 

 

私たちは亡き愛する人縋るだけの人間なのだから。

 

それもまた、時が経てば社会からは許されないのだ。

 

確かにそう、社会のお荷物なのだから。